Faizaさんのウェブログ,10月13日と15日
書かれている主なトピックは
・Jarrarさんたちの家のある通りで大きな爆発があったこと
・その爆発の跡地で米兵のヘルメットを見つけたこと
・Faizaさんたちの運転手(お隣の人,ファルージャ出身)がファルージャを訪れたこと
・Faizaさんのお兄さんが生命の危険を感じて外国に移住したこと(フセイン政権下で1人,現在も1人)
などです。
同じ日にKhalidさん(3人の息子の中でバグダードにいる唯一の息子)が書いた記事も,数日中にアップします。先日始まったJarrarさんたちの支援計画の出発点となった記事です。(キーとなる記事なのに,もっと早く動けなくて申し訳ないです。)
http://afamilyinbaghdad.blogspot.com/
Wednesday, October 13th, 2004
こんばんは……。
夜の7時です。外は砂埃が舞う天候です。家の中は細かな砂埃だらけ。胸が苦しくて窒息しそう。洗面所で顔と鼻を洗わないと,息が自由にできない感じです。
ガラス屋さんが来て上の階の窓に新しいガラスをはめてくれています。ハリードがついています。
今日は朝からひどい日,ついていない日でした。
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朝の4時に目が覚めました……いいえ,眠っていたのを飛び起きたのです。ものすごい爆発音がして,家が揺さぶられ,窓ガラスが割れました……パニックになって裸足のままで走っていたことしか覚えていません。とにかく部屋から出て,振動で鳴りっぱなしになっていた(セキュリティシステムの)アラームを止めなければ,と。心臓がばくばく言っていました……アッザームとハリードはものすごい爆発だと言っていました……。けれど私は,自分は恐くて走っていたことしか覚えていないのです。裸足で,心臓をばくばくさせながら……。
私はぐっすり眠っていたので,爆発音には気がつきませんでした。が,夫と息子は気付いたのですね。
私たちは水を飲み,ベッドに戻りました……けれどもその時,何かががちゃがちゃと音を立て,落ちる音がしました。ベッドルームのカーテンを開けると,ベッドルームの窓のガラスがこんがらがった線の入り組んだ地図のようになっていました。ひび割れて外側に……庭の方に落ちていたのです。
おそろしかった。びっくりして私は尋ねました。「いつの間にこんなことが?」
というわけで私たちは再び起き上がり,明かりをつけて家の各所を見て回りました。どの部屋も台所もバスルームも,どこもかしこもひとつ残らず,窓が割れていました。
屋上の鉄のドアでさえも歪んでいました。その鉄のドアについているガラス窓もいくつかはガラスがなくなっていました。玄関の木のドアは,釘が飛んでしまって内側に押しつけられていました。庭から家の中に砂埃の塊が入ってきていました。
そのとき,本当に大きな爆発があったのだということに気付きました。この砂埃もガラスやドアが破損したのも,その爆発のせいなのだ,と……。
台所の様子は筆舌に尽くしがたいものでした……流し台のところにある窓は粉々になっていて,アルミのドアは曲がってしまい,ドアについているガラスは割れ,あまりに勢いよくドアが開いたためにドアについていたレースのカーテンは破れてしまっていました。換気扇は外側のブレードが取れてしまって,枠は地面に落ちていました。
これらを確認して……ベッドに戻りました。でもこんな状況で眠りが訪れるわけがありません。
朝までずっと,寝返りをうっていました。朝になり,台所に言ってお茶を淹れました。割れたガラスの山の中でお茶を飲んでるなんて,あんまりよい眺めではありません。
隣人たちがそれぞれの家で割れたガラスをほうきで掃いている音がしました。割れたガラスの破片がいっぱいのベッドルームにいるかわいそうな奥さんたちを想像して,私は微笑しました。台所もバスルームも同じ状態です……なんて素敵な朝なんでしょう……。
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爆発の後,アメリカの戦車の轟音がしました。けれども,外に出て何が起きているのかを見ようという者は誰もいませんでした……朝になればわかる,と私は思いました。
台所のガラスを掃き集めて大きな段ボール箱に入れました。ガラスのほとんどはまだ新しいものでした。バグダード陥落の後,1週間疎開していて戻ってきたときにガラスを直したのですから。戻ってきたときの家の状態は,今日の家の状態とそっくりでした。でも今日の方が割れている窓の数が多い……爆発がより強く,より近くで起きた,ということです。
猫と子猫たちが割れた窓から台所に入ってきました……「あらま,抜け目のないこと」と私は思いました。手を振って猫たちを追い出すと,母猫は車庫へと走り,子猫たちがそのあとをついていきました。昨晩の残りの鶏肉を小さな皿に載せて,猫たちにやりました……それからガラスの破片の後片付けに戻りました。
素敵な朝とは言えません……私の気分も明るくはありません。
ガラスの破片の上を歩きました。サーカスでガラスの上にねそべるインドの芸人を思い出しながら……すごい,と思ったものです。はぁ……。
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流し台に浸してあった布巾が何枚かあったのですが,その布巾にもガラスの破片が散らばっていました。溜めてある水にも,石鹸の上にも。お皿やスプーンの間もガラスだらけで,指を怪我しないように気をつけてお皿などを取りました。
ハリードを起こしました。朝ご飯を食べて大学に行きなさい。ハリードは通りに出ると,昨日の爆発物の残りからひとつの破片を持って戻ってきました……硬い金属の塊,とても重い……端は鋭く,こんなものが人間の身体に当たったら命取りになる,と思いました……。
でも私たちにはわかりませんでした……これはこの通りに着弾したミサイルの破片なのか,それとも地雷の破片なのか,あるいはexploding packなのか。誰にもわかりません。
近所の人たちがみな通りに出てきて,爆発のあった場所を見ていました。口々に話をして,そして家に戻って行きます。ガラスの破片が入った段ボール箱とか大きなプラスチックの容器を持っている人もいます。容器の中身を歩道にあけています。お隣さんが,家のガラスの破片を掃き集めている音がしました。彼女は収入が少ないのです。気の毒なことです。どうやって新しいガラス代を払うのでしょうか……。
私たちの生活に,また重荷が加えられました……。
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大学に向かう前にハリードは「母さん,まるで神さまがおっしゃっているようじゃないか。ためらうことなかれ,この家を出よ,ってね」といいました。
私は何を言ってるのよと笑って頭を振りました。
2日前,義理の姉が電話をしてきました。私の兄の妻なのですが,兄は今は外国に単身で赴任しています。兄は1年の契約があり,家族はみなその兄のところに行くことになるのだ,と。私が家を探していることを知っていたので,義姉はうちを貸したいんだけどどう,うちを見ててもらいたいのよ,と言っていたのです。兄の一家は,情勢が落ちつくまで,おそらくは5年かそれ以上,外国にいることになりそうです……その後バグダードに戻ってくるのかどうか,誰にもわかっていません。家具は売ってしまったから,まったくの空き家の状態で引き渡すわ,と義姉は言っていました。
アッザームとハリードとはそのことを話しました。いくらかの躊躇はありましたが,とてもよい家で,場所も文句のつけようがなく,職場にも近い。それにその家のある地域は私たちのいる地域よりも安全です。爆発などはなく,アメリカ人と顔を合わせることもない。それに,義姉の提示した家賃は,とても条件にかなうものだったのです……。
この機会を逃したくないわ,と私はアッザームに言ったのですが,すると残念な気持ちがしました。1年の間,私たちの家に守衛さんと家族に住んでもらうこともできる……それから,状況が落ちつくまで,新しい家に引っ越しをする……何も失わずにすむ……おそらくもっと静かな環境が手に入る。やってみましょう。
夫は「そうだね,お義姉さんと話してきなさい」と言いました。
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そして昨晩,ハリードと一緒に兄の家に行きました……家具のほとんどが売られてしまって,家ががらんとしているのにびっくりしました。重たい気持ちでした。悲しかったのです。月日が私たちを引き離してしまうでしょう。
兄はイラクには非常に愛着を感じていました。神経外科医で仕事に熱心で新しいことをしていて,外国での会議にもよく出席し,新しい医学研究に貢献し,分析をし,よくものを読み。神経外科という専門分野の新たな面を常に追っている人です。しかし医者の暗殺が続いていることで兄はパニックになり,外国に出ることにしたのです。サダム政権が崩壊したあと,兄の同僚の多くが暗殺されているのです……バアス党員の日ともいましたが,独立した立場の人もいました。だれにも理由がわからないのです。今,兄の妻と子供たちも家を出て兄のところに行こうとしています。彼らは正しい。兄が戻ってくることは不可能です。それに,こんな状況で父親なしで過ごすことも,とても難しい……。
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家の中を見て回りました。母が亡くなる前の(母の魂に平安あれ),あるいはその後でも,私たちが集まって楽しく過ごした日々を思い出しました……いろいろ話をした,たくさん笑った,子供たちは大騒ぎだった……ビデオカメラがこれらを記録しています。ニュージーランドにいる兄に送るために,と。90年代半ばにこの兄は移民していきました。歯科医で大学教授でしたが,サダムとサダムのイラク人に対する行為にひどく腹を立てていたので,移民することにしたのです。兄の決断を私たちはみな悲しく思いました。しかし,もしここに留まれば,何らかの害が振りかかるのでは,とも思っていました。そのため,兄がイラクを出ていくという考えを受け入れることは,例えば兄がサダム・フセインによって処刑されるということよりも,慈悲深いものだったのです。
母は泣きました。この兄が最初に生んだ子だったからです……しかし人生の残酷さによって私たちは感情を押さえなければならなかった,何度も何度も。
今,また同じ状況になっています……ハート(感情)とマインド(理性)のどちらにするかの選択。
もちろん,勝つのはマインドです……。
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いろいろと細かいことを義姉と打ち合わせ,家に戻りました。何も問題がなければ(インシャラー),来月始めまでには義姉たちは家を出て,私たちに家を引き渡します。ハリードが運転し,私は車の後部座席に座っていました。泣きたい気分でした……私の中の何かが壊れてしまった……私たちの人生のことを思い出しました。困難で残酷なものとなってしまった私たちの人生を。家族も友人も,ひとりまたひとりといなくなってしまう……私たちの人生から出て行ってしまう……まるで乾いた砂漠のようになってしまう……家族もなく,親戚もなく,友人もなく……たがいの間に愛情も愛着も慈悲もなく。こういった美しいもののない人生にどんな意味が?
失う時になって,その大切さがわかります。それらが安定した明るい気持ちを与えていたのだということを……そうです,ほとんどすべての人が必要とする感情のバランスは,こういったものが持っているのです。
泣いてはいけないような気がしたので,沈黙のうちに私の涙は落ちました。エアポート・ロードを見つめました。何と暗く,悲しく,陰鬱に見えたことか……この通りはいつも明るく照らされているのに,今日は照明もなく真っ暗。この通りはUm Al-Tuboul Mosqueから始まっていますが,モスクもまた色を失い悲しげに見えました……暗い照明があるだけ,あたかも見捨てられたんだとでも言っているかのように……沈黙を強いられ動きを禁じられているかのように。
私は涙をぬぐいました……こんなことが私たちに起こるなんて,誰が予想し得たでしょうか? サダム・フセインの失墜を,新しい国を見ることを,私たちは夢に見ていました。
けれどもまだ,新しい,美しい国を私たちは目にしていない……私たちはまだ,ただ待つ試練の時にあるのです……。
この試練はいつ終わるのでしょうか? 誰か,その答えを知っている人がいるのでしょうか?
いないでしょう。私たちはまだ,渦の只中にいます。
ということは,まだまだこれからずっと,忍耐のときが続くということです,ただ待つときが……。
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家に戻ると,どうしてこの家を出られるだろうかと思い始めました。
私たちもまた,感情を捨てようとしている。安全を見つけるために。
この地域は安全ではない……あちらはこちらよりは安全だ……兄と兄の一家にとっては,イラクのどこにも安全がない,だから出ていかねばならない。これは個人的な,相対的な状況です。人によってそれぞれ違う……。
ここはマジードの部屋,マジードの思い出……壁に掛けたボードには,いろいろなものがピンで止めてあります……マジードのIDカードやいろいろな紙類,プリントアウトした重要なメールや,外国の友達からもらったすばらしい言葉の書いてある手紙,バグダード陥落後にライードが書いた手紙,そして昨年度の学校の出席表……マジードがイラク内外の会議に出席したときのバッジもあります。壁には大きなポスターが数枚。マジードはこれが大好きでした。お気に入りの映画『マトリックス』のもの……。
化粧台にはコロンや制汗剤,クリームがあります。ママと一緒にマジードがあつめた花をドライフラワーにしたものが,透明な瓶に入れられています……。
そしてこちらにはコンピュータに数十枚のCD,コンピュータ・ゲームがいくつか。ゲームのほとんどは戦闘ものです。戦争やら軍隊やら最新兵器やらの出てくるものです。その次にはぬいぐるみのおもちゃやぬいぐるみの熊,猿,それにポケモン……それから電子オルガン。ボクシングのグローブもあります。ハリードとの試合で使ったもの。このベッドルームで試合をしていました……。
これを置いていけるわけがないわ。
ええ,新しい家に持っていくのよ……思い出に満ちた家に……。
新たな生活の出発に,新たな思い出の始まりに,インシャラー。
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次にハリードの部屋に行きました。以前はライードが使っていた部屋です。
ライードの思い出がこの部屋を満たしています……ライードの絵やスケッチ,ライードがデザインした建築物の建築模型。卒業制作の大きな模型,これはバグダードのアル=カディミヤ地区の開発プランです。それから壁の落書き。建築家はみなそうですが,物事を違ったふうに見ます……。肝炎がひどくなって部屋に閉じ込められたときに,ライードは壁に鉛筆で,今日は何日目と書き記したのです……囚人が収監されてからの日々をつけるように……。箱がいくつもあります。CIVICやEmaar(再建という意味です)で仕事をしていたときの書類が入った箱です。それからバグダードの地図が何枚か,南部の都市の地図も……。
全部新しい家に持っていくのよ……インシャラー。
それから客間。バグダードから訪ねてきた友人たち,バグダード以外のイラクの都市から訪ねてきた友人たち,あるいはイラク国外から訪ねてきた友人たちの思い出。楽しく過ごした日々の,きょうだいたちの思い出,話や笑いの思い出……それからお庭。私の思い出……私はこのお庭が大好きで,始終手入れをしている……季節ごとにお花や種を買うために,芝生や果実の生る木を育てるために,家計からいくら出したことでしょう。けれども今日私は,これだけ築き上げてきたものを後にしなければならない。10年かけてきたものを。ここの状況は悪く,理性が感情に勝つ……。
人の人生は,思い出なしでは無意味なものです……辛い思い出であれ,楽しい思い出であれ。私はすべての思い出をずっと持ってゆきたい。私たちを過去とつなぐもの……未来へも私たちとともに行くもの。
ある人の一生には,常に過去と現在と未来が残っているのがよいです。
何一つとして失いたいとは思わない……どれかひとつを失ったら,バランスを崩すのではないかと思います。
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私たちは夕食をとり,ベッドに入りました……そして4時ごろに,例の大爆発です。家の窓は粉々になり,ハリードは朝に家を出る時に「神さまのお告げだよ,この家を出てゆきなさい,ためらうことなかれ,って」と笑ったのでした。
仕事に出ましたが,午前中はずっとひどい頭痛がしていました。昨日いろんなことを思い出して悲しくなったから頭痛がしているのか,それとも私は聞きもしなかったけれど心底びっくりしたあの爆発が原因なのか,わかりません。
帰宅すると,私は運転手に「爆発のあった場所に行ってくれないかしら,見たいのよ」と言いました。私たちは道端にあいた穴の正面に立ちました。運転手は,これはexploding packでミサイルじゃないですね,と言いました。近所の子が,これは今朝早くにアメリカの車列が通ったときに爆発したんだ,と言いました。何人かが死んだり怪我したりしたんだって,と。
信じられませんでした……。家に入りました。眠りたい,とても疲れた。
ハリードが出かけていったと思ったら戻ってきました。「母さん,カメラ貸してよ。穴の写真を撮りたいんだ。割れた窓も,お隣の壁に刺さってる爆弾の破片も。」また戻ってくると,息を切らせてこう言いました。「母さん,穴の中にアメリカ兵のヘルメットがある。血がついてる。」
「持ってきてちょうだい」と私は言いました。
「でも母さん,血がついてるし泥だらけだよ。」
「この袋を持ってって,ヘルメットを中に入れてきてちょうだい。」
随分待ちました……ふと車庫を見に行くと,ハリードが地面に袋を置いていっていました。また友達のところに行ったようです。
私は近付き,それを持ち上げました。それから台所のドアの近くに行って,見ました……ヘルメットの後頭部の部分は割れていました。中身が……グラスファイバーのようなものが見えていました。内側には乾いた血がついていました。ということは,このヘルメットの持ち主は,首を怪我したのです。戦車やハンヴィーに乗っていて,どうして破片に当たったのでしょうか? わかりません……。
ヘルメットには手書きで名前が書かれていました。右側に,黒い字で B.H. Gunner と,そして左側には B-H-G と。
実際にこれがヘルメットの持ち主の名前なのかどうかはわかりません。あるいは他の兵士のものだったのかも……米軍の規則は知らないので,兵士同士でこういった物の貸し借りが許されているのかどうかもわかりません。それともこの名前が,このヘルメットの持ち主を断定しているのでしょうか?
ヘルメットをひっくり返すと,また悲しい気持ちに締めつけられました。
このヘルメットは誰の持ち物なの? 持ち主の名前は? その人の年齢は?
その人は死んでしまったの,それとも負傷しただけ? ご両親はご健在なの? 息子さんについてご両親に連絡は行っているの? この人は結婚しているの? 子供は?
私の心は引き裂かれ,私は泣きました……私の心は,何よりもまず,ひとりの母親の心です……。
私の涙は彼のため,彼のお母さんのため,彼を愛している人たちのため。
どうしてこの人がここに来たのか? この人は貧しくてお金が必要だったのか? あるいは,うさんくさい原則とか理論があったのか? 私にはわかりません……。
聖クルアーンの章句を思い出しました。意味的には次のような感じです。「明日何を得ることになるか,知る者はなし。どこで死すことになるか,知る者はなし……。」
この章句を読むたびに,私は悲しく感じます。祖国を離れた死についての章句だからです。死,祖国を離れて――どちらも何と残酷なことでしょうか。
私はいつも神に,親族のいるところで,愛する人たちのいるところで死なせてください,とお祈りしています。
そして私は,このヘルメットの持ち主が死んでいませんように,と神にお祈りしました。
この人の名前は何というのでしょう? ブラッド? ブライアンでしょうか? アメリカの人たちの名前はあんまりたくさん知りません。でもアメリカの人たちも私たちのような人間なんだということは知っています……喜びもすれば悲しみもする人間なのだ,と。
そういうことを,私は毎日受け取るメールの文面から読み取ります。ほとんどのメールは平和的な人たちからのもので,私たちの政府が愚かなことをしてしまってすみません,というものです……そして,私たちの状況を知り,痛みを感じ,この愚かな戦争は私たちの敵なのだ,互いの距離を縮めるのではなく広げてしまったのだ,というもの。
私にはわかりません……昨日私は,兄の家の思い出と私たちの家の思い出を思い,泣いて過ごしました。そして今日は,このヘルメットの所有者だった兵士のために泣いています。
けれどもここにいるイラク人は,私の抱くようなイメージを抱いていません……そのイラク人は,米軍の中に,残酷と傲慢をイメージします。米軍は日々,人々に対してそういう態度で接しているのです……ほとんどが,とても残酷でとても傲慢な態度です。
今日の午後,ゴミ収集車が来たときに,缶を集めている少年が私に訊きました。「どうしてこの通りにこんなにたくさん割れたガラスがあるんですか?」
私は少年に言いました。「explosion packがこの通りで爆発したので,窓が割れたのよ。その爆発でアメリカの兵士が死んだって言ってるわ。」
少年は笑って言いました。「へぇ,そりゃいいニュースですね。奴らなんか地獄に送ってやれ。」
私は何も言いませんでした……この少年が別な角度で物を見ているんだということはわかっていたからです。戦車に乗った傲慢なアメリカの兵隊が,人々の顔に銃を向けているのを……撃ちたい相手を撃つのを,そして誰にもとがめられないのを見る角度で,彼は物を見ている。
こういった行為はイラク人の怒りを引き起こします。まずは怒りです……それが暴力と憎悪に変わるのです。
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私はヘルメットの写真を撮影しました。兵士の名前もはっきりと写っています。コンピュータに保存はしたのですが……ウェブサイト(フォトログ)に掲載はしません。人々を悲しませてしまうでしょうから,気持ちを害するでしょうから。けれど,見たいという声があれば,お見せします……。
撮影すると,私は米兵のヘルメットをイラク兵のヘルメットのそばに置きました。このイラク兵のヘルメットは,ライードがバグダード陥落後に通りのバリケードの後ろで見つけてきたものです。
このヘルメットの持ち主の名前もわかりません……どんな外見の人なのか,何歳なのか……死んでいるのか,生きているのか?
私の心が物事をこういうふうに見てしまうのはなぜなのでしょうか……私はナイーヴなおばかさんなのでしょうか? ブッシュのような人が知能が高く賢明なのでしょう? 悪意と憎悪を楽しむ人々が? 自分こそが他者に語りかける力があるのだと考えているような人々が……。
こういった人たちには本当にびっくりさせられます。どうやって考えているのか,私にはわかりません。自分自身がいつか彼らのようになるかもなどとは想像もできません。
私はこれまでずっと,物を見て考えて過ごしてきました。愚者のようになってはならないと自分に警告をして過ごしてきました。不正を正当化すること,殺害を,憎悪を正当化すること,すべて醜いことは,愚者によって為されます。
預言者のひとりのことを思い出します。「どこでよいマナーを習ったのですか」と訊かれ,預言者はこう答えます。「愚者の行ないを見,そして自分はそれを為してはならないと決めます。」
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Friday, October 15th, 2004
こんばんは……。
今日はラマダーンの初日です。断食と慈悲と赦しの月の始まりです。ラマダーンの始まりも終わりも,人々によいことがありますよう……。
今日,多くの人々の助けを借りて,家の掃除が終わりました。もうガラスの破片はありません。新しい窓ガラスが入って,木の家具に積もっていた埃も拭き取りました。砂埃の舞う天候と例の爆発のせいで,家の中は砂埃だらけでした。
昨日,運転手が,今日の朝,ファルージャに向かうと言いました。私は薬をいくらか運転手に持たせました。私たちの新しい女性ソサエティからアル=ファルージャ(総合)病院に寄付されたものです。そして,夫を亡くしてしまった運転手のお姉さんには私からお金をいくらか……ラマダーンですし,家にもあれこれと費用がかかります。(なのであまりたくさんではありません。)
洗濯を済ませ,家の掃除を済ませました。こういった単純な仕事は週末には必ずやらなければなりません。単純作業で私の緊張感も和らぎます。こういった仕事のことは私は「バカになっててもできる仕事」と呼んでいますが,こういった作業なしにはやっていけません。
昼を過ぎて運転手から電話がありました。バグダードに戻ってきた,ファルージャの状況はとても緊迫している,というものでした。ファルージャはゴースト・シティだ,とも。
ファルージャは今にも爆発しそうな爆弾ですよ,と彼は言いました……「ほとんどの家がからっぽで,家族たちはこの先何が起こるのかを恐れて家を出てしまっている。姉も息子たちも見当たらなかった。他の親戚が近くの村に連れていったんですって,安全のためにね。お金はファルージャにいるいとこたちに預けてきました。今日の午後に姉のところに行くそうですから。薬は病院に渡しました。救急担当の先生から,必要な薬のリストを預かってきたので,後でお届けします。救急病棟は血まみれです。死人が怪我人でいっぱいでした。」
私は運転手に尋ねました。「アル=ザルカウィはどこにいるの? 政府はザルカウィとその一派を引き渡せと言っているでしょう。さもなくば爆撃する,と。」
運転手は言いました。「ザルカウィなんていませんよ……イラク人のレジスタンスがいるだけです。」
私は黙ってしまっていました。何も言えなかったのです。
「ラマダーンでしょう」と私は言いました。「神がともにおられるときです。何も害がないことを願っています。」
暫定政府と占領軍は,ファルージャにはアラブ人と外国人がいると主張しています。そして,ファルージャの人たちはいないと主張しています。私はファルージャにいるわけではないので判断はできません……けれども,ファルージャに行く人,ファルージャから来る人に会うたびに,真実はどうなのかについて訊き続けます。
夕方のニュースを聞きました。ファルージャの状況は緊迫している,ファルージャからの代表団が来て政府と交渉をしていたが,何も進捗はない……昨晩,アメリカの飛行機がファルージャの家々を爆撃しました……イラク人が殺され,怪我を負わされました。
ファルージャは再び包囲されています……ブッシュは軍事的状況に決着をつけることに乗り気ではありません。米軍から犠牲者を出すことを恐れているためです。それにこれは選挙に響きます。あなたには聞こえますか?
米軍の犠牲者……ブッシュを悩ませるのはこの点だけです。イラク人の犠牲者については,フン,地獄に送ってやれ……知ったことか。
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先週,政府は市民や民兵たちから武器の買い上げを開始しました。これは私たちが常々やれと言っていたことです。バグダード陥落直後から,1年半も前から……。
どうして暴力を吸い取ってしまわないのか,どうして人々から武器を買い上げないのか――政権崩壊後,人々はたっぷり武器を手にしている。イラク軍倉庫に入るのは簡単で,やはり簡単に備品を持ち去ってしまう。
私たちにとっては非常に恐い状況になってしまいました……大量の武器が一般人の手にある,そんなことを支持するものはいません。泥棒や殺人者が意のままにそれらを使うでしょう。強力なイラク人レジスタンスが発生するでしょう。そして終わりのない対決が起きるでしょう。
けれども私には占領軍の考え方がわかりません。優先しているのが何なのかもわかりません。
戦後,占領軍はイラク軍の備蓄していた武器を爆破しました――住宅街で。何の関係もない市民に犠牲が出ました。このような愚行の責任を取るのは誰なのですか?
彼らの指揮とはこのようなものでしょうか? 命令に従うが,イラク人がいるかどうかは気にしない。イラク人は何でもなく,死のうが行きようが我々は気にしない……一般市民も女性も子どもも気にしない……最も重要なのは米軍兵士の安全,米軍の犠牲者を減らすことである。
占領軍に対する憎悪が始まったときがこのような感じでした。そしてこれは,私たちが見るところ,ブッシュ政権にとっては打撃で,イラク戦争の結果出た米軍の死者数について話すことは,ブッシュを困らせる……一方でイラク人の死者については,常に計算されるだけの顔のない数字。
まさにこの点を,イラクのレジスタンスは,あるいはブッシュを憎む外国人たちは,気付いたのです。そしてどうすればブッシュに打撃を与えられるかということを知ったのです。だから彼らは,米軍車両の通るところに地雷や爆発物を仕掛ける,そして兵士たちを殺し傷つける……際限がありません。殺しと破壊の無限地獄,ブッシュがここで始めたもの……。
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「熱い」対決があるエリアもあれば,「ぬるい」エリアもあるのはなぜでしょうか? 私にははっきりとはわかりまsねんが,見たことから,そして経験したことからわかる範囲でお答えしたいと思います。
私たちの住む地区に隣接して,Al-Furatという名称の地区があります。貧しく,人の多い地域で,ほとんどがシーア派です。男たちのほとんどが兵士や肉体労働者,あるいは単純作業をする農民でした。
占領軍が空港を掌握しようと空港に入ったとき,軍はAl-Furat地区を爆撃しました。夜間にクラスター爆弾を使っているのを私たちは目撃しました。私はそのことを私の「戦争日記」に記しています。人々は走って逃げました。多くの家が破壊されました。多くの軍人や民間人がこの地区で殺されました。
政権が崩壊すると,この地区の住民たちの多くが国家や軍の保有する倉庫から盗んだり略奪をしたりしました。家々は,イラクの国家の倉庫から持ち去られた冷蔵庫やらエアコンやらテレビ,新しい車,そしてあらゆる種類の武器でいっぱいになりました。
この地区の人々は教育水準も,社会的地位も低く,バグダード内外の多くの貧しい地域の見本です……他者との衝突はどんなものでも暴力的に扱われます。ギャングが育つ持続可能な環境があるのです。そして彼らは今やお金と武器を手にしている。
彼らにこの環境を与えた愚か者は誰? この地区を今にも爆発しかねないホットな対決の場にしたのは誰?
私と一緒に考えてください……。
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1週間前,米軍の戦車がやってきて道の真ん中に止まっていました。夜でした。その戦車は通りをゆく車に向かって発砲していました。車は損害を受け,車に乗っている人たちは膝をついて車から脱出していました。近隣の住民たちみながそれを見ています。一体何のためにこんなことをするのか,わかりませんでした。米軍が「我々はここにいる,恐れよ」とでも言っていたのでしょうか? それともギャングや犯罪者を探していた? あるいは占領軍に反対するレジスタンスの男たちを?
わかりません,私たちはこういった行為のどれひとつとして理解しません。けれども,2日前の爆発は,立腹したイラク人の,この(戦車が車に発砲した)ときに傷つけられた人たちからの回答だったのではないかと思います。むろん,占領軍の攻撃的な行為は,人々による同様に攻撃的な,あるいはよりいっそう暴力的な行為によって応じられます……ハイファ・ストリートと衝突,サドル・シティと打ち続く対決……。米軍サイドからの暴力があり,それは米軍とは心が石でできた人間たちで,情け容赦を知らない犯罪者で,傲慢で鼻持ちならない連中なのだという印象を与えます。
こういう理由で,アメリカ人が殺されたと聞けば喜ぶ人たちがいるのです。それは傷つけられた人々であり,復讐心を抱くようになった人たちです。占領軍から人々に対する復讐は,新たな敵を作りだします……数限りなく,大きさも限度のない敵を。
そして私たち,この国を新しく作りたいと考える者たちは,このような愚策は我が市民たちにとっても我が国にとっても役立たないと考えます。
軍を市街地から出すようにと私たちは常々言っています。都市を離れた基地に移動させるように,と。イラク人に自身の軍と警察を,イラク人自身で作らせてください。自分自身で建設させてください。
治安の確保もイラク人にやらせてください。軍人であれ市民であれイラク人に。こうすれば人々の互いの絆が強まり,信頼という言葉で語るようになります。これは人々の間のあたたかな愛情にあふれた関係と尊敬の始まりとなるはずです。そして小さな市民社会ができ,それがやがて人々の多数となる……市民社会を理解する人々,それを集め,実現させる人々。
夜間に単独で街路を歩く占領軍がいれば,イラク人によって傷つけられる危険性があります。なぜならば,そんなことは必要とされていないからです。また,当初は人々に対して目に見えるサーヴィスをすることはオファーされていませんでした。
私たちはみな問うています。彼らは何をしているのか? 通りを歩くなど,殺したいと思った人間の格好の標的ではないか……毎日そんなことを目撃しているのに。
彼らは治安と秩序を維持できたためしがありません。彼らがどうやって考えているのか,どういう戦略があるのかは私にはわかりません。
混沌とあやまち,それが1年半も続いています……そして,よい変化をはっきりと示すものは何もありません。
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ある疑問を心から拭い去ることができません……政権崩壊の際に盗みや略奪を許可したこと,一般人の手に武器が大量に渡るままにしておいたことは,意図的な計画だったのでしょうか? それともあまりに鈍くて考えてなかったのでしょうか? もし鈍かったのだとすれば,まあ,OKです……けれども計画だったのであれば,邪悪な計画です。その計画の苦い果実を,私たちは毎日刈りとっているのです,1年半にわたって……どのくらい継続するのかもわからずに。
犯罪者や無知な人々の手にお金や武器を大量に蓄えさせたことが,暴力的な前線を開き,ファルージャやサマラやナジャフがサドルシティなどイラク各地での戦闘を引き起こした……。
これらの前線には,お金や武器を供給する誰かがいるはずです。多くの努力が無に帰し,多くの犠牲者が倒れるでしょう。そして私たちの,新たな国を建設する希望もかき消されるでしょう……カードは混ぜられ,人々は疲れてしまい,財は失われる。そして,建設も再建もなく,ただ暴力と戦闘と破壊だけがある。
街路を我が物顔で走る占領軍,ここに無期限の間駐留し続けるため,建設されたキャンプ……これが現在の絵です。
ブッシュはこれをすべて計画していたのでしょうか? それとも何も考えてない,その場しのぎのうちに,こうなったのでしょうか?
ブッシュやラムズフェルド,チェイニーといった,この戦争を進めた人たちが,愚かだったなどとは私は思っていません。経験がなかったとも対処が悪かったのだとも思いません。この結果は計画されたもののように思われるのです。
可能性がある,という話です……というのは,最初から判断を誤っていたのだとすればストップして別の方向に切り替えていたでしょう。けれども彼らは強硬に主張した……今に至るまで,どんなにネガティヴで悲劇的な結果があろうとも。
アメリカはイラク人を助けに来たのだと信じてもらいたいだなんて,どうして思えるのでしょうか?
こういった愚行すべてが両者の間の信頼を低めます。そして暴力と憎悪という選択をする人をますます増やすのです。
信頼が確立できたら,イラク人は自身の生活と自身の国を再び建設し始めることでしょう……ファルージャの人々でさえも,アメリカとアメリカの意図に対しては信頼を感じたいと思っている。そうなれば武器を棄て,平和と対話を選ぶことができる……。
アメリカはこの話がわかっているのでしょうか? イラク人がどう考えるかということ,イラク人が何を求めているかということを,アメリカは考えているのでしょうか?
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イラクには選挙が,新たな政府が必要です……何をすべきか,どう行動すべきかについて,ヴィジョンを持った新たな政府が。
アメリカはイラクで基地やキャンプを建設しています……それはあたかも,私たちに「我々は何十年も,ひょっとしたら何百年も,ここを去るつもりはない」と宣言しているかのようです。こんなふうだから多くの人たちが腹を立て,抗議をするのです。そして,ここに留まろうというアメリカの決定に影響を与え,アメリカの撤退を早めたいと考えて,暴力に傾くようになるのです。
アメリカの選挙も近付いていますね……ブッシュもケリーもイラクに対しては何らヴィジョンがありません。どちらも道を見失って,必死にもがいています。
また4年がイラクにめぐってくるでしょう……どうなるかさっぱりわからない4年が。
ブッシュの続投であろうとケリーの就任であろうと,情勢はこの先も不確かなままであり続けるでしょう。ケリーは暴力を沈静化しようとするかもしれませんが,確信は持てません。何を言っても推測の域を出ません。けれども,もしケリーが大統領になれば,ブッシュの攻撃的な道を歩まないよう,事態を悪化させることのないよう,状況を最悪のものにしないように,と,私たちは望んでいます。
私たちはイラクを建設し,平穏無事に生活していきたい。それが私たちが最優先していることです……イラク人による,嘘のない,自由な選挙を私たちは望んでいます……新たなイラクの指導者,清廉潔白でイラクとイラク人を大事に思う指導者,人々を束ね,団結させる指導者を望んでいます。
政府がアメリカの隣に立たなければならないのであれば,彼らはイラク人を助け守るために統治権を得たのだということを,忘れたりしないでしょう。イラク人の中から,イラク人のために,イラク人を守るため,イラク人が安全で安定した自由な充実した生活を送る権利を守るためにあるのだということを。アメリカと交渉しなければならないのであれば,政府はアメリカにこう言うべきです。「私たちの心はイラク人とともにあり,イラク人のためになることでない限りは,あなたがたの利害で動いているのではない。私たちはあなたがたがイラク人を殺し,イラク人の家を破壊することを許さないし,あなたがたの安全保障計画に署名することはない。航空機で都市を爆撃し,より多くの犠牲者を出すことは許されない」と……。こんなことを言っていても虚しいですね。
あなたがたは,イラク人を助けるためにここに来たのだと言う。私たちはあなたがたに助けていただきたい。けれどより多くの兵隊と殺害と破壊によって,助けていただきたいのではありません。私たちの生活を,私たちの国を建設することを助けてください。私たちがこうしてほしいと思うように,そしてわたしたちが他に対する輝かしい前例となるように。
私たちは自由とデモクラシーを求めています。暴力や殺害は求めていません。そんなことをしても,私たちの目的がきちんと達成されるとは思いません……。醜悪で不正な行為を為すことによって,高尚な目的が達成されることは,決してありません。
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そして私はまた,B-H-Gのヘルメットの兵士のことを思います。私の中の何かが,私はナイーヴだと言うのです……イラク人の死者や負傷者を見ろ,彼らのことを気にかけるものはいるか?と。病院は薬がなくて深刻な状況,治療するのには医療機器が必要なのにそれもない。でも負傷した米兵は何十という助けの手を差し伸べられる,世話をしてくれる人はたくさんいる……ヘリが彼を中東か,あるいは欧州の病院まで運ぶでしょう。そこで最善の治療を受け,介護を受けるでしょう。
一方でイラクの民間人は,衝突の中で犠牲となっても……親戚でもなければ誰も世話をしてくれない。病院もなく薬もなく治療もない。ヘリもなく,馬の引く荷車さえもない……。
そしてアメリカの人々はアメリカで問い続ける。なぜイラクの情勢は落ちつかないのか,と。我が国の政府は正義にのっとり頭を使っているのに,と。
ここにいらして実際にご覧になってはいかがですか? いかに正しく賢くことが進められているかを。この人たちはこの土地の所有者,あの人たちは武装した外国の占領軍,そして占領軍が人々を手荒に扱っている……この大きなギャップを,あなたがたとイラク人の間のギャップを,あなたはどう埋めようというのですか?
私のことを,この問題からの出口のひとつとして考えてください……両者の間の信頼を築くための方法として。そして新たなページを開くための方法として。
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Translated by May/ Baghdad.(from Arabic to English)
# posted by faiza : 10:22 AM
* translated by: nofrills, 21-22 October 2004 (from English to Japanese)
投稿者:いけだ






