Falluja, April 2004 - the book
現代企画室刊『ファルージャ 2004年4月』を引き継ぐ形で、
同書共訳者2名がファルージャおよびイラクについてのニュースなどを
英語から日本語にして紹介しています。
本文中の翻訳部分の語句は、原文に即するようにしています。
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ファルージャ:戦争は終わったが平和はこない
ファルージャに残ったイラク人ジャーナリストからの報告です。

ファルージャの惨劇
戦争は終わったが平和はない
アッバス・アフメド・イブラヒム
イラク・ファルージャ発

ファルージャには今、奇妙なときが訪れている。戦争は終わったと言われるが、平和はない。毎日、発砲があり、そして殺害が続いている。町にはほとんど何も残っていない。いたるところに、破壊された建物がある。

そして、恐ろしい臭い。それが何なのか、私たちは知っている。死体の臭い。死体の多くについては片付けられたが、臭いは長いあいだ残る。アメリカ人たちは、反乱勢力にとどめを刺しているところだと言っているが、実はこの数日同じことを言い続けている。だから人々は、「とどめを刺す相手として残っているというのは誰のことだろう?」と問い始めている。私たちは、モスクで負傷した捕虜を米軍兵士たちが殺しているといったことを耳にするが、そうしたニュースは、外の人々から伝えられるものである。外に出て、何が起きているのか確認することはできない。

私はファルージャに留まることを選んだわけではない。けれども、立ち去ろうとするのも怖かった。私は36歳で、米軍兵士たちは、立ち去ろうと試みた15歳から45歳までの男性をすべて拘束していた。米軍兵士たちは、民間人はファルージャを立ち去るべしと通告したので、町に残った男は誰もがムジャヒディーンにちがいないと決めつける。

スカーフで顔を隠したイラク人たちが米軍兵士たちと一緒にいる。彼らは情報提供者である。彼らが指さして、反乱勢力のメンバーだ、と言えば、そうでないことを証明する可能性は残されていない。これを使って個人やグループの憎しみをはらそうとしている者たちもいる。誰があなたのことを密告するか、わからない。

私がファルージャに残った理由は、他の多くの留まった人々と同じである。自分の家を守ること。妻と両親は、アミリヤーに避難するとき、私に一緒にファルージャを離れるよう懇願したが、私は聞き入れなかった。それがどれだけ大きな間違いだったか、今となって実感している。私は親戚と一緒にいる。私の家は恐らく破壊された。米軍兵士は、町に侵入してきたとき、至る所で撃っていた。空から、そして地上で。私がいた家は機関銃で撃たれた。昼も夜も、とても怖かった。砲弾と爆弾があらゆるものを揺るがし、それが日夜間断なく続くようだった。今、それは終わった。

けれども、米軍兵士が家を捜索するときも、多くの被害が出る。今ファルージャに残っている私たち----民間人----の数はとても少ない。どれだけ残っているかは、わからない。人々は外にでないから。私たちは、小さなグループでまとまって、家の中にいて、地区から外には出ない。危険が高いからだ。私のいとこの家族が無事かどうかわからない。普通のときなら、10分で行けるところに住んでいるにもかかわらず。ここにいる人々のほとんどは、家族の誰かが怪我を負ったり拘束されたり、そして時には、殺されたりしている。

ファルージャの状況はとてもひどい。だけど、あまりに長い間、ひどい状況だったから、普通の生活というのがどんなものだったか、忘れてしまったほどである。電気も水もなく、食料もほとんど残っていない。薬は全く切れてしまった。私が知っている人々は、ひどく具合を悪くしている。主な原因は汚れた水だが、治療を受けることもできない。

赤新月社をはじめとする援助団体が、食料と医薬品をファルージャに送ろうとしたが、アラウィ(イラク暫定政権首相イヤド・アラウィ!)に阻止されたと聞いた。これにより、多くの人の怒りはさらに強まっている。アラウィはイラクの人々を裏切って、アメリカ人の側に立っていると人々は考えている。

アメリカ人たちは、食料と医薬品を配給するセンターを設置したと言っている。また、1週間以上前から、ファルージャの病院は再び開院した、と。

いずれも本当である。けれども、問題は、そこに行くのは非常に危険だという点にある。米軍兵士に拘束されたり、殺されたりするかも知れない。家族のために食料を取りに行った女性二人が、射殺された。米軍は、やったのはムジャヒディーンだと主張するが、人々のほとんどは、やったのは米軍兵士だと考えている。私は米軍がこの二人を射殺したとは思っていない。ムジャヒディーンがやったのかも知れない。けれども、米軍がファルージャを制圧している、というのなら、どうしてそんなことが起こり得るのだろう?

これからの数日のうちに、私たちに何が起きるかわからない。家族は無事だという知らせを受け取ったので、一番の心配はなくなった。他の民間人たちがファルージャに戻り始めたら、事態は少し安全になるのかも知れない。

アッバス・アフメド・イブラヒムはイラク人記者。


シバレイさんのブログにイラクの「人権&民主主義センター」からのメッセージがあります:

今、皆さんにファルージャのすべての医療機関が訴えます。ファルージャ、サクラウェイヤおよびカルマの都市に医療スタッフが入って、死者の埋葬と負傷者の治療を許可するよう、米政権に要求してください。

すべての人権団体は皆さんに訴えます。ファルージャとアル・アンバール地方の人々に、どんなものでもいい、食料と薬を届けてください。

抗議行動案内を参照して、たとえば、

Observe international humanitarian law and take immediate steps to ensure that humanitarian aid groups can act safely.

といった簡単なことでも。


ファルージャ発の記事というと、2004年4月の「日本人人質事件」の際に、自分たちが先進国に住んでいて、「後進国」イラクにはビデオもあるわけはないし日本のことなど知ってるわけがなかろうと断定して無知をさらけだした人々のように、「野蛮でしかも破壊されたファルージャから情報が出てくるわけはない」と勘違いして決めつける人もいるかもしれません。



投稿者:益岡

コメント(0)| Track back(0) | 2004-11-21 12:05:56 | ファルージャの状況
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